2024年3月22日金曜日

八雲紫との危険な想像恋愛

 この前、八雲紫の夢を見たというブログを書いてから奇妙なことがありました


あのブログを書いた翌日、ウーバーで、たった2日間で

「ゆかり」という名前のお客様に3人出くわしました

それぞれ、違う方です。

2日で50件くらいしか配達してません。


なんという偶然・・・・。

正直ゾクッとしました。




八雲紫と書いて、やくもゆかり です。

何を隠そう、このブログのタイトル「運鈍根の捕物帖」は

八雲紫の必殺技の1つ・・・技名でもあります。


八雲紫が、俺のブログを読んで、運命操作でもしたというのでしょうか??なんつってw

え?じゃあ両思い!?キャー/////


八雲紫のことは大好きですが、彼女は、人を食う妖怪でもあります。

また、ただの妖怪ではなく、大妖怪と言われている。

それはそれは美しくも恐ろしい方なのです。


また、ご自身の下っ端の手下に対しては、うまいこと言って使い捨てにする徹底的な利己的っぷり。

冷徹な一方で、自分とあまり関係のない困っている人間や、弱い妖怪を無償で助ける事も多いから、

何を考えているのかまるで分かったものではない。


表面的な性格は、

結構なかまってチャン(萃香が言ってた。まぁ確かに)で、話したがり。

少しマイペース?で、東方茨歌仙という物語では、

霊夢たちと百物語をしたときに一人だけ怖くない話をして、魔理沙に少しバカにされていたっけ?

それでも笑ってた。ふわふわしてる。

紫はやっぱり人間じゃないんだけど、ある意味、人間よりも人間らしいと思ってしまう・・というと失礼だろうか。

人間という「体裁」とか「世間体」を保つ必要がないから、のびのびとしていられるからだろうか。

俺はそれが好きなんだけど。

一方で、鋭く状況を察し、

テキパキ働く魔理沙や霊夢たちより、何歩も先を行った考えで、

東方鈴奈庵という物語において、人間の少女の命を、「警察巫女・霊夢」の手から救った。

かと思えば、無計画にやらかす事もあったり(萃夢想ラスボス戦での伊吹萃香との会話とかそんな印象)

割とあっさり、ちょいとヤンチャ系の天人に、大切な理想郷を損壊されたり。

苦労の絶えない暮らしをしているように思える。

(そういや、幽々子とはどういう関係なのだろう。)


彼女の中のモラルとか、良識とか、そういうものには、規則性がないような感じで

たとえば、困っている人には基本的に人一倍も二倍も優しい・・・けど、

自分の目的のためなら、人殺しくらいは簡単にする・・・誰だって利用する・・・みたいな。

そういう、理想にむかって一途すぎるような、危うさが・・・

はたから見ていると、とても不器用にも見えて、

切なく、さみしく、悲しく、なんだか抱きしめてあげたくなる。

俺は紫に利用されたり殺されるのはゴメンだけどな!!w

紫の優しいところは好きだけどクズなところは普通にどうかと思うからなwwHAHAHAww(東方儚月抄で前鬼と後鬼に二枚舌つかって死なせた事とか)

まあ俺も人のこと言えねーがwww



そう、実をいうと俺もそうだ。

紫のことは好きだが、取って食われそうで怖いからあまり深く関わりたくはないというのが本音だったりする。

俺も人間なもんでね。


紫のいる幻想郷という世界は好きだが、そこにずっといたいか、といえば、それは分からない。

たまに遊びに行ったり紫が遊びに来てくれればそれでいいかな。

それ以上を望むなら、いったい俺はどうすればいいのか分かんないわ。

人間としての俺はまだ死ぬ予定はないんだからね。


今は福岡に住んでるけど、引っ越す予定にはなっていて、

その時、長い休みがとれたら東北までツーリング行くよ

その時に「マヨイガ」少し探してみるよ 紫の顔だけ見にさ

殺さないでねっ(まじで) あぶねー峠道めっちゃ走るからなー、どうせw

心配しないで!事故っても紫のせいにはしないよ

運転中は「境界を操作する能力を阻止する能力」を発動させるとしよう。


なんか、紫から会いに来てくれた感があったから、そのうち俺からも会いに行くよって話です

夢で見たから って理由でツーリング行くのも

前人未到感があって、オシャレでしょ?たぶん

2024年1月14日日曜日

夢日記 短編小説?

大阪南部に旅行に来た

旅行ついで、試しにウーバーで配達業務をと、配達アプリを起動する

岸和田市あたりに配達需要が高騰していることを示すマーク(通称シミ)がついている

つまり、今の時間帯は岸和田市あたりも、稼げるエリアというわけだ

指でタップし、拡大してみると、奇妙な地形であることに気がついた


↑需要高騰シミ


よくみると、岸和田市じゃない・・・更に西のエリアらしい。

こんな地域があったのか。

岸和田の西は、海だった気がする。いや、俺の気の所為なのだろう。

大阪府は地元とはいえ、地理に詳しいわけではないのだから。


そこは山の中だ。

一本の幹線道路が走っている。

交差点はなく、信号もなく、ひたすらに一本の、やや曲がりくねった道。

峠道かと思ったが、

そんなところに、配達需要のシミが付くわけがない。

その一本だけの幹線道路に、飲食店や家屋が立ち並んでいるのだ。

たった一本だけの道に。

長さは20kmほどだろうか。


その道は岸和田の西部から、更に北西に伸びている。

さすがに、大阪湾があったはずだ。

いつのまに湾は干上がって、山になってしまったのだろうか。


気にしていても仕方がない。


バイクに跨り、配達に向かう。

例の道は渋滞していて、オートバイはすり抜けなければ飲食店にたどり着けない。


町の風景は、異様。

道路の左右に秩序なく、

飲食店や娯楽施設、歴史博物館、戸建て住宅が区画わけもされずに、所狭しと

押しくらまんじゅうのように、ギチギチに立ち並んでいる。

家の玄関のすぐとなり、1メートルも幅をおかず、

歴史博物館の入門ゲートがある町なんて、これまで見たことがなかった。

しかも、家も、それ以外も、ほとんどが廃墟だ。


ほとんど・・・?

いや、ただの一軒も人が住んでいるようには見えない。

廃墟となっている歴史博物館には、大正時代、

あるいは明治かそれ以前の、古い字体の漢字で書かれた看板が、

むなしく、来ることのない来館者を誘っている。

この土地について知るべきだ。俺は決心する。

このような大きなゴーストタウンが大阪の山の中ににあったなんて。


しかし配達の合間に、スマホにメモしようにも、

読むことすらできない漢字だからメモにもとれず写真を撮るだけで精一杯だ。


一体ここは何なのだろう。


博物館の入り口と、隣にある住宅の隙間には、

草木が生い茂る。ここは山の中だから。

更にその奥に、電車の線路が見える。

真っ赤に錆びついて、使われていないのは明らかだ。


歴史博物館の案内板には、駅員のような男が微笑む姿が描かれている。

そうか、ここは鉄道の町だったのかもしれない。


地図を思い出す。

岸和田から北西に伸びるこの道は、大して人も住んでいなさそうな村に続いていた。

ならば、この行列を成す車の運転手は一体どこへ向かっているのか。疑問はつきない。


行列の側方をバイクで駆け抜けながら、左コーナーを曲がって、

左側に見えた建造物に焦点を合わせて見てみると、俺はギョッとした。


巨大な邸宅・・・か?

それも、なんとツリーハウスだ。

「ご神木」と言えそうな、巨大な2本の木を支柱として、

その上に、洋風の豪邸が作られている。見たことのない大きさだ。

使用人がいてもおかしくない。


しかし、その巨大な「ご神木」のうち一本は、まるで

漫画ドラゴンボールの気功波で打ち抜かれたように、下半分が丸くえぐりとられ、貫通している。

断面は焼け焦げている。

人為的なものではないようだ。

一体、どんな現象で、こんな丸い穴が空くのだろう。

ツリーハウスが立ち続けているのが不思議だ。


豪邸をよくみると、やはり廃墟で、全体がひどく傾いている。

幅20メートルはある、大階段も朽ちて、宙ぶらりんになっている。

その階段が、まるで俺を誘うかのように、こちらを向いて、ダランと垂れ下がる。

おしゃれな勝手口の窓ガラスは割れ、

中には朽ち果てたテーブルクロスのかかった食卓や、破れて色褪せたカーテンが見える

華やかで幸福な生活をしていたであろう邸宅の栄華は、今ここで追憶のみを残す抜け殻とかし、

胸が切なくなる。


そうだ、配達を急がなければ。ときは流れているのだから。


そうこうするうちに、ウーバーで配達する料理を作る店についた。

4kmほどは走っただろうか。ほっと一息つく。

道中、明かりがついている建物もちらほらあったが、

明かりだけで、中に人は居なかった。


店に人の気配ない。明かりはついているが、無音だ。

冷蔵庫や換気扇といった、料理屋では電源を切るはずがない機器の、

動作音がわずかに聞こえるはずなのに。

洞窟の中、あるいは深山の只中にいるような、完全な無音。


不気味だ。

白いビニール袋に包まれた、スチロールの容器がカウンターに置かれている。

察するに、これが、配達するべき荷物ということだろう。

これは本当に料理なのだろうか。


いや、これは本当に


この世のものだろうか?


俺が今から、この荷物を届ける相手は本当に


人間なのだろうか?


この街は本当に、大阪か?


この時間は本当に2024年か?


明治でも令和でもない 時空の狭間のような場所


そんなところに住まう、たった1人、思い当たるフシがある注文者がいる


そうか、 「あなた」 か


迷い迷いてたどり着く

「マヨイガ」の住人

あなたさまであったか


マヨイガといえば、本来は東北のお住まいでしょうに。

貴女も旅に、でられたのだろうか。

いや、きっとあなたのは・・・、気まぐれの、お散歩でしょう。

世話役を連れだって。

それは奇遇ですね。運命かもしれない。


いや・・・まてよ。

これはすべてあなたの仕組んだことなのでしょう。

意地悪なあなたらしい、計画的な招待状・・・ですね。

今回も、まんまと乗せられてしまいました。

でも俺は、あなたと会えること以上の幸福を知らないものだから、

運命よりも、あなての手で弄ばれることのほうが、よほど嬉しく思えてしまいます。


俺は嬉しく、喜び勇んで、愛しい彼女のもとへとバイクを走らせる


霧の中、藪の奥、疲れ果てた私を待っていてくださる

私の死の淵の向こう側に立っていてくださる

唯一の御方の姿が心の中に浮かぶ


・・・・・八雲紫様のもとへ。

2024年1月3日水曜日

哲学と、コトワザ

偉人の名言、格言みたいなものが好きです

小学校で「ことわざ辞典」とかいう4コマ漫画、よく読んでました

今もYoutubeとかで偉人の名言とか海外のQuoteとかよく読んでます


しかし、中には矛盾するものもあります



虎穴に入らずんば虎子を得ず

トラの子供を捕まえたければ、トラの巣穴に潜り込むしかない。

(トラの親に殺されるリスクがある)

リスクを負わなければ、大きなリターンを得ることもできないという意味。


君子、危うきに近寄らず

立派な人間は、危険なリスクに、無闇に近寄らないという意味。

~~~~~~~~

大は小を兼ねる

大きいものは小さいものを兼ねるという意味


過ぎたるは及ばざるが如し

やりすぎは、足りないことと同じという意味

~~~~~~~~

なんとなく、矛盾していませんか?


特に自分が好きなのはコレです 物理学者のアインシュタインの言葉ですが


“賢い人は問題を解決する。

一方で、思慮深い人はそれを避ける。

原文↓

“A Clever person solves a problem. A wise person avoids it.”- Albert Einstein

これは、色々な解釈のできる言葉です。

問題に直面したとき、賢い(clever)人は、問題を解決する。
思慮深い(wise)人は、回避する・・・。
しかし、もしかしたら、
直面してしまった問題を、解決せず放置する・・・という意味かもしれないと俺は思いま
す。
だって、問題とかトラブルって、
避けて通れないものもあるし、解決できない ものもありませんか?
「解決することを、避ける」 っていう変化球かもしれない。

それは、問題と共生する、問題とともに生きていく・・・という事。

俺たち人間は、何か大きな問題に直面したときに取る行動として、
・解決
・回避
・共生
3通りの選択がある。

「知恵とは何か、賢さとは何か」そもそもの部分を、
鋭く突くようなアインシュタインの名言。
誰にも計り知れないことが、世の中にはたくさんあります
そう、わからないことだらけなのです

だから、誰かの言葉を、
理解できぬ他人のために使い、人を判断することは意味がないのかもしれない。


逆に、
自分のために、
自分の信じる言葉を、信じたいときに信じればいいと思う。都合よく。

どんなときでも
必ず今の自分を応援する言葉を、
誰かが残しているから

回避・解決・共生の3つで、どれを選ぶか迷っていて、
他の人があーだこーだうるさい時・・・

自分の心の中の、51%が信じていればいい。49%の人が反対だと言っても。
どちらかしか選べぬなら、それでいい。
もし50%と50%で、綺麗に別れてしまったなら、コインでも投げて裏表で決めればいい。

一番最悪なのは、誰かのアドバイスを聞いて、その通りに選択して、
失敗するパターンだ。
自分で決めた事で失敗したなら、別にどうだっていいけどさ、
「誰かに言われて」っていう筋書きがあったら
その人のせいにすることができちゃうだろ?
「本当の気持ちはこうだった」とか後から思ったりするだろ?
自分で選んだ道じゃないから、道を愛せないだろ?

だからといって、
「他人の言うことはすべて間違っていて
自分の考えだけが正しいと思え」 って言いたいんじゃなくて、
他人の話を聞いて、そうだと思ったならそれでいい。
ただ、自分で決める勇気が無いからって人任せにする態度が、すげーアホっぽいから、

だから自分の判断に自信もてよ
失敗して強くなるんじゃねえのかよ
だから失敗を恐れるなよ 顔面からコケろよ
・・・っていう、これ自体が「他人の言葉」なんですけどねwwww
あらら、無限ループ 笑

次回のブログは、自由意志の有無について語るか? 壮大になりそうだな、オイw
まじめ系はつかれました、しばらくそういうのは書きません

2023年12月2日土曜日

底辺彼女なしの俺が痛々しく偉そうに結婚について考えてみた

結婚は人生の墓場である


フランスの詩人ボードレールが残した言葉


ちょっとネガティブすぎるけどw 「たしかに」 とも思う。


もっとも良いのは、趣味や仕事といった分野で
お互いの光を強め合い、高め合うような関係
人生は墓場に送られることもなく
ただ単純に幸せにだけなれる関係なのではないかと
俺は思う(アバウトだなあ)

それは置いておいて


金の話をします



貯金300万円


これが俺の中のラインです


何がっていうと子供の話です

以前書きましたが俺は貧乏な家で苦労して児童養護施設に預けられる寸前まで行きました


親が病気で倒れても、子供が児童養護施設や、親戚の世話にならないためには

親の預金額というものが調査されることがあります


公的機関によって

いわゆる、親の養育能力を問われる場面の話です


誰でも怪我や病気をする可能性はあります、単純に離婚することもあります



そのときに金が無い、それは無責任だと思います


「なるようになれ」

「多分だいじょうぶ」

という人がよくいます

自分の人生を、適当に生きるのは、勝手です そういう楽しさもあるでしょう

俺もよくわかります 俺も適当ですから


でも、それに誰かを巻き込んではいけません

相手も同じ「なるようになれ」という考え方の持ち主だとは限らないからです

口では同じように言う人はよくいますが、微妙に考えというのは一人一人、違うものですから。


「渡っても90パーセント大丈夫な橋」があるとします

落ちても死ぬことはありません どのくらいの怪我を負うかは分かりません

命綱をつけるか、つけないか。命綱は300万円です 渡り切ったら300万円は戻ってきます

つけない人たちの中でも、2種類の人がいます

①買おうとして頑張って貯金したけどどうしても買えなかった人

②絶対いらねーよって人


①前者は、丁寧に橋をわたるので 95パーセント安全です

落ちることを予想しているので、落ちそうになった瞬間、受け身をとり、小さな怪我ですみます

②後者は、乱暴に橋をわたります それでも80パーセントくらいは安全です

でもバカなので、受け身もとらず、大怪我をします

「まさか自分が落ちると思っていなかった だから自分は頭が悪いわけじゃないんだ」

と主張したい思いを抱きながら、

河原に落下し、

胸部に強い衝撃を受け、息ができなくなり、魚みてーに口をパクパクしながら

「恥ずかしい、カッコ悪い」くらいのことしか考えません

救助に駆けつけた人を見ても「自分の不注意で迷惑をかけて申し訳ない」

などと感じるような常識は、あまり無い

なぜなら、それなら最初から命綱を買おうとしているはずだから。


それに巻き込まれた子供は、

「運が悪かったよね」などと、綱なしで渡る選択をした親を、慰めます

親は謝罪したりします

しかし、また別の橋を渡るとき、ど~~しても200万円必要なのに

また、命綱を買えなかった

親は、タバコも酒もギャンブルも、かわいい洋服を買うことも高級なブランド品を買うことも、

家事がしんどくて大変だと子供や旦那の前で愚痴るくせに、

スタイル維持のためにスポーツクラブに行くことを、

モデルみたいな食生活を続けてカロリー不足で家事がシンドく感じることも分かっていながら

やめられなかった

そしてついに料理や家事をサボり始める親を、子供は慰めるのでしょう

奴隷のような子供です。

親はそれを

「私の愛が伝わった。幸せな家庭を築くことに成功した!」

といって、周囲に自慢します。

「子供がこんなこと言ってくれたの~。すごく嬉しくて泣いちゃった~

子供だいすき~」

しかし、もし子供が反抗していれば、子供をぶちのめしたり、ひどいことを言います。

それを「しつけ」だと内面で処理し、外面では、

「最近反抗期で~。他所のお子さんもそうなんでしょ?

年齢的に仕方ないよね(だから私のせいじゃないよね)」

などといって自分の失敗から目を背け、他の人の悪い噂を集めることで

「自分だけじゃない」という安心を得ようとします。

これが、他人からの評価軸で生きようとしすぎる人間が

親になった際にとる行動パターンです。


200万円の橋は、命綱なしでも、落ちなかった 今度はうまくいった

親は子供に「落ちなかったんだから文句を言うなよ」とにらみつけるような目をします

それが人間という生き物の限界です


そういう家庭で育った子供は、

同じくらい貧乏でも親が節約して、子どものために尽くしてくれている親がいる

別の家庭で育った子供をみてしまうと

自分は愛されていないのだと強く自覚するハメになります


場合によってグレます


一人で橋を渡るときはどうでもいいです そういう生き方もアリです全然。

2人以上で渡るとき、責任感を持ちましょうって話


橋から落ちた家庭の親はこういうことを言います

「愛があるから金がなくても幸せだろう!うちは貧乏なんだから文句いうな!ワガママなガキめ!

お前が生まれてきたせいで金が余計になくなったんだぞ!お前のせいだ!」

「仕方のなかった事にいつまでも文句を言うな!」


などと叱りつける家庭のどこに愛があるのでしょうか

しつけのつもりで叱っているのですが、しつけができていないのは、親のほうです。


仕方のないこと、ではありません

たとえ事故や過失であっても、人は責任をとらなければなりません

少なくとも開き直るような態度をとってはいけないのです


せめて、許してもらうための交渉を行わなければならないのです

どうしたら許してくれるのか、自分にどこまでのことができるのか

その2つをすり合わせ、お互いに妥協できる点を見つける努力を

せめて、探ろうとしなければならないのです

もし見つからなくても、その行為自体が人を少しだけスッキリとさせます

それが大人の謝罪です 

「ごめんなさい」という言葉を読み上げればいいと思っているのは

やる気のない小学校教師です


デキ婚で生まれた子供だとしても

自分自身の不注意で招いた事態なのです

それは「仕方のなかったこと」ではなく、防げたこと、

デキ婚は人災なのです


また、人の心を変えたいのなら「変えろ」と迫っても、

「変えてください」とお願いしても、無駄です

自分の普段からの行動や言動を見せて、

相手が本当に心から相手を尊敬できるようにならない限り

押さえつけ、屈服させるようにして表面上、自分を敬わせても

意味がありません

もし無理だったなら、諦めて受け入れる他ありません


「精子が受精したことがわるいんだ、だから知らん」

「受精事故なんだから許してよ。中絶しなかっただけ偉いだろう。

子供は、親に対して寛大であるべきだ。

浪費はやめないけど、貧乏を我慢しろ」


そのくらいのことを無意識に考えてしまう弱い人

それが伝わってしまうと、言ったのと同じ。

親のそういう態度を指摘すると、

「お前は育ててもらった恩を感じないのか。

などと言い始めるだろう

それを分かっているから殆の子供は、何も言わない

でも内心、わかっている 愛などはじめから無かったことを

本当の愛は、確実にそのへんの家庭で、当たり前にあるのに、それが分からない親のもとに生まれたことを知る


「メシと学校通わせるのに金つかってやってるんだから、

旦那の酒とか、嫁のかわいい洋服とかの分は、子供が我慢するべきなんだ、公平に」


まあ程度によりますけどね 子供のために全振りしすぎるのも極端ですが

やろうと思えば、平均レベルの生活を送らせてやることができるのに

「自分を優先して、平均の生活すら送らせず、我が子を奴隷のように洗脳する親かどうか」

そのへんがライン。


子供は、生涯を通して愛を知ることができなかった親を憐れみながら、なおも侮蔑している

だから終身延命医療とかに高齢の親をぶちこんで年金だけチューチューする人が後を絶たないんだろうなって俺は思う


自分に甘い人 子供に甘えてしまう親

そのことに自分で気づくことすら出来ない人

ある意味、コメディのようで面白いんだけど、

俺は嫌いです

俺も自分に甘いところ沢山ある

ちゃんと生まれ変われるかな?


300万円


大した金額ではありません

カップルなら派遣でも1年半あれば手が届く金額です

俺の場合は自分だけで300万ほしいです 


腹をくくる真面目さとか強さがある人ならいいけど

「生まれ変わる」覚悟が無い人が

結婚という1つの「人生の死」と「生まれ変わり」

という大きな門をくぐるべきではないと

俺は思います



まあ、せめてそれを目に見える形で表現できるのが

俺はかなと


ぐちゃぐちゃ長く書きましたが

一言でいうと


2人あわせて300万もないとかガチでプアマンすぎるやろ

余裕やん300万円とか

2023年10月9日月曜日

久々に運転反省日記 また右直事故未遂

 矢印信号のない交差点もしくは

矢印信号がまだ点灯していない状態での

右折手順を考えてみた

対向直進レーンの延長線上に自車が重なる直前で一時停止

これが最も確実


何が怖いって、自分の前の右折車に釣られて右折してしまうのが癖になってくると

マジで対向レーンを見なくなってくる。


たしかに・・・

普通に運転してると、よっぽど運が悪くない限り、

前走する右折車につられて右折しても、前走車のリアウィンドウ越しに前を見れば、

対向レーンの状況は何となくわかるから

「前の車のリアウィンドウ越しに対向車が来ているのが見えたら右折をやめればいいだけじゃん」

という甘えた思考になっていくのもおかしくはない・・・。


でも中にはオープンカーやスーパースポーツカーのように

車校がゴキブリのように低い車もある

そういった車両を相手にすると、リアウィンドウ越しの視界など無いに等しい。

低すぎて見えないからだ。

普通のセダン系の乗用車でも真っ黒のボディで夜などだと、

タイミング次第でやはり見えなくなる。


だから、一時停止が最強。


後続車が居て迷惑になりそうな時は停止寸前まで減速すればいいだけ


バスや、大型トラックとかでよくある「多段階右左折」というやつに近い

俺は今日から必ず実施していこうと思う

2023年9月30日土曜日

旅する松尾芭蕉

最近書くことがないので適当に書きます


歴史の授業で松尾芭蕉という詩人?歌人?という人物を習ったことがあると思います


俺は松尾芭蕉に詳しいわけではありませんが

この名言だけ知ってます


「旅の中に生き、旅の中に死ぬ」

正しくは

あてのない旅の思いやまず」


だそうです。


誰にも看取られず、旅の中に死ぬなんて、悲しいことのように思いますが

誰でも

人生は独りぼっちの旅

じゃないかな、と俺は最近、思います

家族や仲間が居ても、最終的に人は一人じゃないかなと


俺は漂流し続ける人生を送るつもりはありませんが

どこまでいっても

人と人は完全に理解しあうことはないし 行先は少しずつ違う

それを忘れないでいたほうが

自分を見失わずに生きていけるんじゃないかと思います

自分を失ってしまうことのほうが寂しく、悲しく、

それでは、誰の側にいることもできないのではないでしょうか


お仲間、それは結構な事ですが

喜んで袂を分かち、いつかの再開を夢見て喜べれば

それで良いのではないでしょうか


アイツは良いヤツだったなあ・・・と

死ぬ間際に、走馬灯のように思い出すには まずは自分自身の旅を歩みきらなければ

何も始まらないのではないかと


あー何言ってるかわかんねーだろうな、これもう


簡単にいうと 友達のもとを離れて 東京で金稼ぎしますってことです

でもきっと帰ってきます 帰ってこれないかもしれません

だから一旦さようならと言っておきます

2023年8月11日金曜日

Uber中に撮った写真

大量にあったけどスマホ割れてデータ取り出せなくなったので
最近撮ったもの
マジでどうでもいいものばかり

ガソリン売ってるローソン

 
置き配 猫ちゃん

赤と黄色の間の建物が配達先
見落として焦った

どっかの団地 軍艦島のような風情を感じる

廊下を私物化する選手権、福岡県代表選手

人住んでない家 葉っぱが良い感じ
ジブリに出てきそう

西区 室見あたり 空がセピア色できれいだった

作ってるゲームのストーリー 没にするかもしれないけど。

 夢の中に閉じ込められて、目覚められなくなったという趣旨のゲームを作ってます。 少しネタバレします ============== これは夢だ 自分の部屋にいるのに、 なぜ夢と分かるのか? それは自分の死体が足元に転がっているからだ。 その男の死体が自分のものだと確信がある。 そし...