2023年12月2日土曜日

底辺彼女なしの俺が痛々しく偉そうに結婚について考えてみた

結婚は人生の墓場である


フランスの詩人ボードレールが残した言葉


ちょっとネガティブすぎるけどw 「たしかに」 とも思う。


もっとも良いのは、趣味や仕事といった分野で
お互いの光を強め合い、高め合うような関係
人生は墓場に送られることもなく
ただ単純に幸せにだけなれる関係なのではないかと
俺は思う(アバウトだなあ)

それは置いておいて


金の話をします



貯金300万円


これが俺の中のラインです


何がっていうと子供の話です

以前書きましたが俺は貧乏な家で苦労して児童養護施設に預けられる寸前まで行きました


親が病気で倒れても、子供が児童養護施設や、親戚の世話にならないためには

親の預金額というものが調査されることがあります


公的機関によって

いわゆる、親の養育能力を問われる場面の話です


誰でも怪我や病気をする可能性はあります、単純に離婚することもあります



そのときに金が無い、それは無責任だと思います


「なるようになれ」

「多分だいじょうぶ」

という人がよくいます

自分の人生を、適当に生きるのは、勝手です そういう楽しさもあるでしょう

俺もよくわかります 俺も適当ですから


でも、それに誰かを巻き込んではいけません

相手も同じ「なるようになれ」という考え方の持ち主だとは限らないからです

口では同じように言う人はよくいますが、微妙に考えというのは一人一人、違うものですから。


「渡っても90パーセント大丈夫な橋」があるとします

落ちても死ぬことはありません どのくらいの怪我を負うかは分かりません

命綱をつけるか、つけないか。命綱は300万円です 渡り切ったら300万円は戻ってきます

つけない人たちの中でも、2種類の人がいます

①買おうとして頑張って貯金したけどどうしても買えなかった人

②絶対いらねーよって人


①前者は、丁寧に橋をわたるので 95パーセント安全です

落ちることを予想しているので、落ちそうになった瞬間、受け身をとり、小さな怪我ですみます

②後者は、乱暴に橋をわたります それでも80パーセントくらいは安全です

でもバカなので、受け身もとらず、大怪我をします

「まさか自分が落ちると思っていなかった だから自分は頭が悪いわけじゃないんだ」

と主張したい思いを抱きながら、

河原に落下し、

胸部に強い衝撃を受け、息ができなくなり、魚みてーに口をパクパクしながら

「恥ずかしい、カッコ悪い」くらいのことしか考えません

救助に駆けつけた人を見ても「自分の不注意で迷惑をかけて申し訳ない」

などと感じるような常識は、あまり無い

なぜなら、それなら最初から命綱を買おうとしているはずだから。


それに巻き込まれた子供は、

「運が悪かったよね」などと、綱なしで渡る選択をした親を、慰めます

親は謝罪したりします

しかし、また別の橋を渡るとき、ど~~しても200万円必要なのに

また、命綱を買えなかった

親は、タバコも酒もギャンブルも、かわいい洋服を買うことも高級なブランド品を買うことも、

家事がしんどくて大変だと子供や旦那の前で愚痴るくせに、

スタイル維持のためにスポーツクラブに行くことを、

モデルみたいな食生活を続けてカロリー不足で家事がシンドく感じることも分かっていながら

やめられなかった

そしてついに料理や家事をサボり始める親を、子供は慰めるのでしょう

奴隷のような子供です。

親はそれを

「私の愛が伝わった。幸せな家庭を築くことに成功した!」

といって、周囲に自慢します。

「子供がこんなこと言ってくれたの~。すごく嬉しくて泣いちゃった~

子供だいすき~」

しかし、もし子供が反抗していれば、子供をぶちのめしたり、ひどいことを言います。

それを「しつけ」だと内面で処理し、外面では、

「最近反抗期で~。他所のお子さんもそうなんでしょ?

年齢的に仕方ないよね(だから私のせいじゃないよね)」

などといって自分の失敗から目を背け、他の人の悪い噂を集めることで

「自分だけじゃない」という安心を得ようとします。

これが、他人からの評価軸で生きようとしすぎる人間が

親になった際にとる行動パターンです。


200万円の橋は、命綱なしでも、落ちなかった 今度はうまくいった

親は子供に「落ちなかったんだから文句を言うなよ」とにらみつけるような目をします

それが人間という生き物の限界です


そういう家庭で育った子供は、

同じくらい貧乏でも親が節約して、子どものために尽くしてくれている親がいる

別の家庭で育った子供をみてしまうと

自分は愛されていないのだと強く自覚するハメになります


場合によってグレます


一人で橋を渡るときはどうでもいいです そういう生き方もアリです全然。

2人以上で渡るとき、責任感を持ちましょうって話


橋から落ちた家庭の親はこういうことを言います

「愛があるから金がなくても幸せだろう!うちは貧乏なんだから文句いうな!ワガママなガキめ!

お前が生まれてきたせいで金が余計になくなったんだぞ!お前のせいだ!」

「仕方のなかった事にいつまでも文句を言うな!」


などと叱りつける家庭のどこに愛があるのでしょうか

しつけのつもりで叱っているのですが、しつけができていないのは、親のほうです。


仕方のないこと、ではありません

たとえ事故や過失であっても、人は責任をとらなければなりません

少なくとも開き直るような態度をとってはいけないのです


せめて、許してもらうための交渉を行わなければならないのです

どうしたら許してくれるのか、自分にどこまでのことができるのか

その2つをすり合わせ、お互いに妥協できる点を見つける努力を

せめて、探ろうとしなければならないのです

もし見つからなくても、その行為自体が人を少しだけスッキリとさせます

それが大人の謝罪です 

「ごめんなさい」という言葉を読み上げればいいと思っているのは

やる気のない小学校教師です


デキ婚で生まれた子供だとしても

自分自身の不注意で招いた事態なのです

それは「仕方のなかったこと」ではなく、防げたこと、

デキ婚は人災なのです


また、人の心を変えたいのなら「変えろ」と迫っても、

「変えてください」とお願いしても、無駄です

自分の普段からの行動や言動を見せて、

相手が本当に心から相手を尊敬できるようにならない限り

押さえつけ、屈服させるようにして表面上、自分を敬わせても

意味がありません

もし無理だったなら、諦めて受け入れる他ありません


「精子が受精したことがわるいんだ、だから知らん」

「受精事故なんだから許してよ。中絶しなかっただけ偉いだろう。

子供は、親に対して寛大であるべきだ。

浪費はやめないけど、貧乏を我慢しろ」


そのくらいのことを無意識に考えてしまう弱い人

それが伝わってしまうと、言ったのと同じ。

親のそういう態度を指摘すると、

「お前は育ててもらった恩を感じないのか。

などと言い始めるだろう

それを分かっているから殆の子供は、何も言わない

でも内心、わかっている 愛などはじめから無かったことを

本当の愛は、確実にそのへんの家庭で、当たり前にあるのに、それが分からない親のもとに生まれたことを知る


「メシと学校通わせるのに金つかってやってるんだから、

旦那の酒とか、嫁のかわいい洋服とかの分は、子供が我慢するべきなんだ、公平に」


まあ程度によりますけどね 子供のために全振りしすぎるのも極端ですが

やろうと思えば、平均レベルの生活を送らせてやることができるのに

「自分を優先して、平均の生活すら送らせず、我が子を奴隷のように洗脳する親かどうか」

そのへんがライン。


子供は、生涯を通して愛を知ることができなかった親を憐れみながら、なおも侮蔑している

だから終身延命医療とかに高齢の親をぶちこんで年金だけチューチューする人が後を絶たないんだろうなって俺は思う


自分に甘い人 子供に甘えてしまう親

そのことに自分で気づくことすら出来ない人

ある意味、コメディのようで面白いんだけど、

俺は嫌いです

俺も自分に甘いところ沢山ある

ちゃんと生まれ変われるかな?


300万円


大した金額ではありません

カップルなら派遣でも1年半あれば手が届く金額です

俺の場合は自分だけで300万ほしいです 


腹をくくる真面目さとか強さがある人ならいいけど

「生まれ変わる」覚悟が無い人が

結婚という1つの「人生の死」と「生まれ変わり」

という大きな門をくぐるべきではないと

俺は思います



まあ、せめてそれを目に見える形で表現できるのが

俺はかなと


ぐちゃぐちゃ長く書きましたが

一言でいうと


2人あわせて300万もないとかガチでプアマンすぎるやろ

余裕やん300万円とか

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