2025年3月19日水曜日

なぜゲーム作りをやってるのか?

 



もちろん小遣いも多少は稼ぎたいけどさ

ゲームだけでなく、漫画、アニメ、音楽などといった
ものには、人間を楽しませたり考えさせたり癒やしたりする力があると思う
少なくとも暇つぶしになる

人が「何もしていない時」「何もすることがない時」に見せる表情が好きだ
何かに追われたり、何かを追っていたりする時の人の顔は、怖い
でも、何でもない時間、記憶にも残らない、時間と時間の「スキマ」
で人が見せる顔は、可愛らしいものだ
そこに入り込んでいるのが、ちょっとした暇つぶしの時間。
それは、少しだけ楽しかったり、ひどくつまらなかったりもする時間だけど、
何かに追われたり追ったりしている時のように、人間の暴力性や残虐性が出てくることのない
優しい時間。
どんな人でも優しくなる時間。

「一人で」が条件かな
ろくでもない人たちが皆で暇してると、ろくでもないことを始めてしまう
暇で死んじゃうくらいが良いんだ
ある低学歴の死刑囚が、監獄で暇すぎて数学の勉強をしていたら、学者にも解けなかった問題を解いてしまった、という実話のような。
誰にだって可能性はあるのに、人は野球やパチンコやギャンブルやテレビやTwitterやTikTokで一生を終えてしまうのももったいない話。

だから俺は暇つぶししている時の人が好きだ。
ずっと暇つぶしだけしている人なんていないけどね。
何か楽しいことを探してみたり、一息ついて深呼吸してみたり・・・。

そんな時間の中。誰も気にもとめない時間。
そんな時間が永遠に続けば良いのに、と思う事もある。
本当は、生きること自体が、暇つぶしに過ぎないから。
もっと肩の力を抜いて、生きていってほしい。どうせなら楽しんで。
真剣にやらなくちゃいけないことはたくさんあるけど、
「捨てる神あれば、拾う神あり」って言うでしょ。
行き止まりにぶちあたっても、世界を見渡して道をまた見つければいい。
だから、たまには暇を作ってほしい。楽しく潰してほしい。
梱包のプチプチを潰すみたいに。
そういう感覚を人生にも当てはめて生きていってほしい。

大袈裟に言ったけど、何となく嬉しいじゃん?
自分が書いた小説とか漫画とか読んでもらえたときは。
逆に、読んでもらえて嬉しいです、って言ってもらえるのだって、嬉しいでしょ?
1円にもならなくても、1円払うわけでもなくても、実際に誰かと会って話したりするわけじゃないのに、
文字だったり、あるいはその「事実」を認識するだけで嬉しくて温かい気持ちになる。
それがどうしてかは、わからない。でもそれは事実としてある。
それだけ。
潰されるプチの1つになりたいってだけ。

別にゲームじゃなくても良かったんだけど、
特に上記のうち、どれかの才能があるわけでもないから、

ゲームという「ゲーマーならゲームを見ればクリアしたくなってしまう」性を利用し、
自分の作品が低クオリティなものであっても、触れてもらえる機会が多いのではないかと考え、
ゲームを選択した。そんな後ろ向きな理由。


10年くらい前、小説だけはネットの投稿サイトで少し人気がでたことがあるけど、

実話ノンフィクションしか人気が出なかった。(オンラインゲーム上での悪辣な人間関係を描いたものだった)

自分の書きたいフィクション系も、アイディアも5年に1回くらいしか出てこないし、諦めてしまった。


作りたいゲームのネタは今は5本くらい。

小説はもう書かないと思うけど、音楽とかは凄く興味あるね。

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